院長プロフィール
Director profile
麹町デンタルクリニック
院長 西澤 道雄
- 平成4年
- 芝浦工業大学高等学校卒業
- 平成10年
- 日本歯科大学新潟歯学部卒業
杉田歯科医院勤務 - 平成14年
- 麹町デンタルクリニック勤務
- 平成15年
- 麹町デンタルクリニック開業
- 日本顎咬合学会 会員
- 国際歯周内科学研究会 会員
-
インディアナ大学歯学部
歯周学インプラント科
JIP-IU客員研究員 - 日本口腔検査学会 会員
院長の自己紹介
Introduction
私は1973年7月24日に渋谷区で生を受けました。父は非常に仕事熱心でダジャレが好きユーモアのある人間でした。母は超が付くほど前向きで、どんな時でもプラス思考の持ち主という自慢の両親です。兄弟は2歳離れた弟がおり、サーフィンが趣味のアクティブな性格です。私自身もプラス思考な性格や体を鍛えたりすることも好きで、家族からの影響を大きく受けています。
幼少期 (1976~1979)
幼少期は両親の深い愛情に包まれて育ち、経済的にも恵まれた環境でした。
今も渋谷区にありますが、東郷幼稚園に通っていました。幼稚園が神社の中にあった為、当時は神様の存在を強く信じていました。幼少期に受けた両親からの愛情と温かさが、私の前向きな思考や利他の心といった考え方の原点になっているように思います。
少年時代 (1980~)
神宮前小学校に通い、周囲の子と比べ、小柄ながらも明るく元気な子供でした。父親ゆずりのひょうきんな性格で、友達は多い方だったかもしれません。当時からの友人が今でも患者さんとして通院してくれています。運動面は苦手で、野球やサッカーなどのスポーツでは周りについていくのがやっとでした。しかし、動物が好きで、ヒヨコやモルモット、ドジョウなどを飼いながら自然と触れ合うことを楽しんでいました。
父との別れ (1984)
忘れもしない1984年の夏のことでした。当時私は11歳。普段は仕事で忙しい父とはほとんど遊んだ記憶はないのですが、その年は蝉をとったり、海に行って楽しく遊んでもらった記憶が強く残っています。ロサンゼルスオリンピックが開催されていたのですが、8月のある日、自宅のテレビでフルマラソンを見た後、父が検査入院しました。
9月7日の深夜に母にたたき起こされ、訳も分からず父の病院にいきました。当時、何を話したか記憶にありません。小さいながらに、ただ不安を感じていました。
翌9月8日は、いつも通り朝から小学校に行きましたが、途中で叔母が学校まで迎えに来ました。
叔母はお父さんがね・・・「えっ、良くなったの!」と聞き返したのを鮮明に覚えています。叔母からは「その逆なの」という回答でした。今でもはっきりと覚えています。
そのまま病院に行くと、病室には管につながれた父(41歳)が横になっていました。その時、始めてことの重大さに気づき、息子たちに心配をかけないように黙っていたことを知りました。夕方5時過ぎに父の心臓が止まりました。担当医のすすめで心臓マッサージをしました。私は生き返ってくれと大声で泣いていたそうです。
父が亡くなったことは、私の人生に大きな影響を与えました。
いつからか、人の命を助ける仕事がしたいと思うようになり、小学校の文集にも書いています。父が私に医療の道を志すきっかけを与え、以降の人生における目標となったのです。しかし、本気で人生を変えたいと思うほど志を持つのはまだ先の話になります。
中学生時代 (1986~)
親戚のおじさんに、「道雄は今後、どんな人生を歩みたいか?」みたいな質問をされ、当時の私は「細く長く生きたい!」と答えたそうです。今考えると完全に自分を守りに入っていました。徒競走・ドッジボールなど全力を出さなくなり、負けることが当たり前になっていたように思います。そのまま地元の中学に進学したのですが、当時の渋谷区立の中では荒れた学校でした。その頃の私は身長137センチ、体重32キロと小柄だったため、いじめの対象になることもありました。自力ではとてもかなわないと考えた私は、コミュニケーション能力を活かし、学年一のヤンキーと仲良くなり、用心棒として守ってもらうようになりました。新宿のゲームセンターや突っ張り方などを学び、自分を守るために少しヤンチャな学生時代を過ごしました。何気にこの時期に人間関係の作り方を学んだように思います。
高校生時代 (1989~)
板橋にある芝浦工業大学高校に入学し、水泳部に入部しました。水泳部に入部したことがその後の人生に大きく影響しました。なにをやってもビリだった青年が初めて表舞台に立つことができたからです。部活は週6回、7~8キロを毎日泳ぎました。厳しい練習を通じて、フィジカル・メンタルを鍛えられ、自分自身の限界に挑戦することの重要性と達成感を得られました。仲間との絆を深める経験を積めたことも大きかったです。
大学生時代 (1992~)
高校3年の夏に日本歯科新潟の推薦枠をもらえ、不安な中、一人新潟に受験で向かいました。高額な入学金・授業料が必要でしたが、祖父からは全て一発合格したら支援すると言ってもらえたので、全力で臨みました。何とか入学合格にこぎつけ、歯科医師への道を目指すことになります。とはいえ、学生時代はお世辞にも学業に専念できたとはいえず、スキーや一人暮らしの解放感を満喫していました。それでも、本気で目指した歯科医師の夢を実現するため、国家試験を迎えるまでには猛勉強をし、無事、歯科医師免許を取得します。大学生活では、学問の重要性と自己管理の大切さを学びました。
歯科医師としてのキャリアスタート (1998~)
大学卒業後、大学にも残ることも選択できましたが、将来的に開業医を目指していた私は東京で勤務医になる道を選びます。その年の4月1日から都内で歯科医師人生がスタートしました。いざスタートした1年目。当然ですが、何も出来ずという毎日に苦しめられます。院長の足を引っ張り、申し訳なさと悔しさで必死に抜去歯や石膏模型で練習する毎日でした。日曜日以外は毎日出勤して朝から晩まで取り組んでいました。早くできるようになりたい、認められたいという一心で必死だったのを覚えています。
分院長から開業へ (2002~)
医療法人の一員として、当時、開院10年目だった麹町デンタルクリニックの分院長に挑戦しました。当初は歯科ユニット3台で比較的のんびりと診療する医院です。翌年には移転することが決まります。このタイミングで私が買い取る形で2003年に現「麹町デンタルクリニック」を独立開業しました。私が当時30歳の時です。独立後は、勤務してくれる歯科衛生士や歯科助手などスタッフにも恵まれ、多くの患者様にも来院頂き、地域に根ざした信頼されるクリニックへと成長しました。
クリニックの発展
2011年に東日本大震災の混乱が続く中、医院を改装し、ユニットを4台に増設。2015年には、より患者様へ提供する医療レベルを上げていくため、医療法人を設立するなど、クリニックの発展の為に色々な取組を行っております。そして、2022年5月には現在の院の場所へリニューアルオープンをさせて頂き、これにより、最新の設備とより高品質な治療・診療環境を提供できるようになりました。
ここまで麹町デンタルクリニックが発展・成長ができていることは、多くのスタッフや家族、患者様に支えられていることを日々実感し、感謝しております。今後も自分、家族、スタッフ、患者様、そして支えてくださる皆さんのために尽力することを誓っています。これからも、地域医療に貢献し続け、皆さんの健康を守るために最善を尽くします。
家族や友人に施すような治療を
当院は東京メトロ麹町駅から徒歩30秒という交通の便のよい場所にあり、開院以来、近隣にお勤めの方々を中心に歯の健康を守ってきました。そんな当院が掲げているコンセプトは「家族や友人に施すような治療」です。そして、クオリティの高い丁寧な治療をモットーに、日々、患者さまと向き合っております。
効果的な治療を提供するために
”学ぶ努力”を惜しまない
Efforts to learn
患者さまが身内であるならば、少しでも効果的な最新の治療を施したいと思うのが当然です。そのため、現在も週末には研修会やセミナーに参加し、歯科治療の最先端を学ぶ努力を続けています。アメリカにあるインディアナ大学歯学部では、客員研究員としてインプラント治療などを学んだ経験もあります。短時間ホワイトニングや、歯周内科など、実際に診療に取り入れているものもたくさんあります。
また、開院以来取り組んでいるのが徹底した感染対策です。最新の消毒・滅菌システムを導入し、どなたでも安心してご利用いただける院内環境を実現しました。最新の歯科治療を安全な環境で提供する歯科医院として、これからも皆様の歯の健康をお守りしたいと思います。
忘れていた想いがよみがえり、
志した歯科医師への道
The road to a dentist
実は、私自身は虫歯がまったくない子どもでした。ですから、幼少期に歯医者に通った想い出はありません。また、近所にお住まいだった歯医者の先生は非常に気さくで良い方でした。ですから、歯医者にはとても良い印象をもったまま成長したんです。
また、私が11歳のときに父が病気で亡くなりました。入院中、何度も病院に訪れたのですが、その間に医療の世界に興味をもち、医者という仕事に魅力を感じるようになりました。しかし、当時はまだ子どもだったので、明確に医者になろうと思うことはなかったんです。
突如舞い込んだ歯科大学への
推薦入学の話に、
医療への想いが湧き上がって
Thoughts on medical care
時が過ぎ、高校生になる頃には医療の世界のことはすっかり忘れ、工業高校へと進学していました。建築関係の仕事に興味があったので、なんとなくそういう仕事に就くのかなと思っていました。ところが、3年生になって進路を決める時に歯科大学への推薦入学の話が舞い込んできたのです。
その話を聞いて、忘れていた遠い昔のことを思い出しました。沸々と医療の世界への想いが湧き上がってきました。そして、その推薦入学によって日本歯科大学新潟に進学し、歯科医師への道を歩き出したのです。
大学卒業後は勤務医を経て、ある医療法人の分院長に就任しました。その分院があったのが、現在当院がある場所です。2002年に独立して、あらためて開業したのが当院のはじまりです。
歯科医院のイメージを
変える治療を提供したい
Treatment that changes
先ほども申しましたように、私自身は歯医者に対して悪いイメージをもったことは一度もありません。しかし、実際に歯科医師になって現場に出てみると、皆さんがあまりにも歯科医院に対してネガティヴなイメージをもっていることに驚きました。
そのイメージを少しでも良い方向に変えたい。そう思いながら日々治療に取り組んでいます。
患者さまの大切な歯を守るため、
”負のサイクル”を断ち切る治療を
To protect precious teeth
歯は一度削ると再生しません。そのため、悪くなればどんどん削るという”負のサイクル”に入ってしまいがちです。それがまた、歯医者嫌いに拍車をかける原因にもなります。そのサイクルを断ち切る治療ができないかと思っていたときに出会ったのが、薬によって歯周病を改善する歯周内科です。
今後は負のサイクルを未然に防ぐ、予防診療にも今まで以上に力を入れて参ります。家族や友人同様の患者さまが、いつまでもご自分の歯で暮らせるように努力を続けたいと思います。歯の健康に不安を抱えた時は、いつでも気軽にお立ち寄りください。その方にふさわしい治療でお応えいたします。
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